普段は鍵付きですが限定公開中です。
昨今の状況を鑑み、冷静にこの問題を議論するための土台にしていただければと思います。
(2020.07.23 更新)
安楽死を君は知ってる?
安楽死法を持つ国はどれだけあるか
終末期患者以外に安楽死を認めている国はあるか
日本では終末期患者の治療を停止することが認められているか
日本に患者の権利を謳った法律はあるか
安楽死とは
<安楽死euthanasia>eu(よい)+thanatos(死)[17C])>
広義の安楽死(とりあえずの定義)
苦しい生ないし、意味のない(と思われる)生から患者を解放するために、自然な死を迎えさせる行為、または、意図的に行われる「死なせる」行為
参考:清水哲郎「臨床現場に臨む哲学」
安楽死の対象・条件・手段
<対象>
終末期の患者
*治療法がなく、死期が数週間〜6ヶ月程度に迫っている状態
終末期以外の難病(植物状態・ALS・アルツハイマー)
その他
<条件>
本人意思、取り除けない苦痛 など
<方法>
国によってどこまで認めてるか違う
1、消極的安楽死(passive euthanasia):
過剰な延命措置をせず自然に死なせる
緩和治療のみ、人工呼吸器*の取り外しなど
(1は特別な安楽死)
日本では1を尊厳死という。2、3を安楽死といって区別している
2、自殺幇助(Assisted suicide):
医師が薬物等を処方し、患者自身が服用して死ぬ
3、積極的安楽死(Active euthanasia):
医師が直接薬物投与などして患者の生命を絶つ
(2、3は同じ枠組み)
各国の状況
アメリカ:カレン・クインラン事件(1976)により、植物状態の患者の尊厳死が問題となる
→消極的安楽死容認の契機
→全米で1(前述)を容認、患者の自己決定権法(1990)
ジャック・キボーキアン医師・自殺幇助(1990−98 130件)
オレゴン州:2を認める安楽死法成立(1994)
ワシントン:2〃(2009
モンタナ:2〃(2009
バーモント:2〃(2013
ニューメキシコ:2〃(2014
カリフォルニア:2〃(2015
コロラド:2〃(2016
コロンビア特区:2〃(2016
ハワイ:2〃(2018
積極的安楽死までみとめている国
オランダ
実態としては以前から医師による2、3が行われていたが、(1998−99 2565件)
2001年に16歳以上(現在12歳以上)の患者を対象に、3まで合法化
2012年には4188人(うち3251人が,がん患者)
ベルギー
3まで認める安楽死法案可決(2002)
18歳未満にも3まで容認(2014)
ルクセンブルク
安楽死法可決(2008)、3まで容認、年齢制限撤廃(2016)
自殺幇助2を認めている(アメリカ以外の)国
スイス:1940年代〜『利己的動機』でない自殺幇助を認める(刑法115条)
尊厳死組織エグジット(Exit)「国内:1214人(2019)」
尊厳死組織 ディグ二タース(Dignitas)「国外;256(2019)」
*スイスは国外からの自殺希望者を受け入れている
そのほかにも中小のサポート団体がある。
ドイツ:医師の自殺幇助容認⇔有料の自殺幇助禁止(2015)
カナダ:2(2015)全州で自殺幇助ができるようになった
オーストリア・ビクトリア州:2(2017)
消極的安楽死・治療停止・尊厳死1までみとめている国
フランス:「死ぬ権利」新法(2005.4)
参「緩和医療へのアクセス保障法」(1997)
「患者の権利に関する法律」(2002)
カトリックは自殺にたいして厳しい背景がある
イギリス、フランス、イタリアなど 多数
参 2015 イギリス:自殺幇助法否決
日本の歴史
「今の状況」
安楽死・尊厳死に関する法律はまだないが、終末期に関わる安楽死・尊厳死事件・裁判への関心が高まっている
1995 東海大学付属病院事件(1991/判決1995)(積極的安楽死 有罪)
→安楽死4条件ができる
1, 本人意思 2, 死期切迫 3, 激痛 4, 鎮痛手段なし
2002 川崎共同病院事件(気管内チューブ外し+α 有罪)
2006 射水市民病院事件(人工呼吸器取り外し 無罪)
現在、セデーションという鎮静方法により、ほとんどの痛みを抑えることができると考えられている
自殺幇助・積極的安楽死は事実上犯罪(刑法202条)
→202条:人を教唆しもしくは幇助して自殺させまたは人をその嘱託を受けもしくはその承諾を得て殺した者は6月以上7年以下の懲役または禁固に処する
消極的安楽死(尊厳死)(対象は終末期患者のみ)
人工呼吸器等 の延命措置の差し控え・取り外しはグレーゾーン
<日本では呼吸器の取り外しはニュアンス的に”積極的”にとられることが多い>
米国の尊厳死
<尊厳死・延命治療の中止・消極的安楽死・自然死>
植物状態・末期患者・難病患者の過剰な延命治療の拒否(不開始)や中止の問題
カレン・クインラン(Karen Ann Quinlan)事件
1976年、植物状態(1年目)患者対する人工呼吸器の装着は過剰延命か否かが争われる(ニュージャージ州地裁)
→プライバシー権(個人が個人の事柄を処理する権利)という観点から、本人の意思の推定が争点となる
:証拠・証言が認められ、機器が取り外されるが、自発呼吸が始まり、栄養補給は行われていたため、9年間生存し肺炎のため死亡
アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)の普及
「リビング・ウィル」回復不能な状態になったときの医療処置継続についての条件を示す書面
参 DNR(蘇生処置拒否の指示)
「持続的委任状」判断能力がなくなった場合、金銭上の判断と生死に関わる医学的判断を代理人に委託する。
1976 カリフォルニア州で「自然死法」成立
1990 連邦最高裁が尊厳死容認(N. クルーザン裁判)
1990 患者の自己決定権法(末期患者に限らない)
治療を受ける・拒否する権利/アドバンスディレクティヴの権利/全ての医療機関が遵守する義務
イギリス、ドイツ、フランス→尊厳死を含む「事前指示書」や「リビングウィル」が法制化
日本の尊厳死の今後
日本の場合以下の行為が密接に関わる
・人工呼吸器
・胃瘻
・人工腎臓(透析)
・心配蘇生装置
・化学療法
川崎共同・射水市民病院裁判による現場の混乱
2007年 厚労省の「終末期ガイドライン」 参 2018年改正(具体性がなく批判があった)
現場の対応→尊厳死問題会日のため延命措置を継続する施設、自主的ルールを作成して延命措置の不開始・停止を実施する施設など、様々。
専門組織(日本医師会生命倫理懇談会/日本学術会議)→慎重な態度
終末期患者の消極的安楽死(尊厳死)の法制化を廻り議論が対立
現在(日本テレビ・深層News(2014/4/16)より
<「尊厳死法(案)」(超党派国会議員連盟)>
尊厳死法案(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案)
・15歳以上の患者が対象
・本人が書面で意思表示(リビングウィル)
・意思表示はいつでも撤回可能
・主治医を含む2人以上の医師が終末期を判定
・延命措置 第一案 新たな措置は始めない
第2案 治療中の措置も中止できる
・医師は法律など責任を問われない
なぜ早期にできないのか?
尊厳死の法制化は必要(日本尊厳死協会・救急医学会など)
理由
・ 本人意思の尊重
・ 医療者の不安解消(ガイドラインの法的効力への不安・ガイドライン周知不徹底)など
↑
↓
尊厳死の議論は不十分・法制化は拙速(ALS等難病患者団体、尊厳死法制化に反対する会など)
理由
・ 社会的弱者が尊厳死の選択を迫られる
・医師の独断によるケース以外のケースでは、治療停止(尊厳死)は事件化されていない。
・医療射・患者・家族間の コミュニケーションが減少し、対応が事務的・機械的になる
(⇔欧州の家庭医制度)
各種ガイドラインの整備
<2007〜(高齢者)終末期医療に関する厚労省・専門学会による各種ガイドラインの公表>
2007 厚労省「終末期医療に関するガイドライン」
2012「高齢者の終末期の医療およびケアに関する立場表明2012」(日本老年医学会)
2014「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」(日本透析学会)
2014「救急・集中治療における終末期に関する提言」(日本循環器学会・日本救急医学会・日本集中治療医学会)
2017「成人肺炎診療ガイドライン」(日本呼吸器学会)
2017蘇生望まぬ場合の救命中止手順(日本臨床救急医学会)
2018 厚労省ガイドライン改定
・名称変更→「人生の最終段階における医療*・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」 *従来は「終末期」と表記
参
厚労省のガイドライン発表後は、各学会のガイドラインも整備され、当事者・関係者間の合意などの条件が整っていれば、人工呼吸器はずし等の延命中止措置について刑法上の問題で警察が介入することは無くなっている。
学習のまとめと今後の課題
終末期患者についての尊厳死法制定の是非
延命措置の不開始:DNR(心配蘇生拒否)の扱い
・AD(事前指示書)→ACP(アドバンス・ケア・プランニング)(事前医療・ケア計画)/終活のサポート体制
*自らが臨む人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い共有する自発的取組
→厚労省指針改定(2018)→在宅医療・介護・ACP重視
患者の権利に関する法律
・「患者の自己決定権法」(アメリカ)/「患者の権利に関する法律」(フランス)
ハンセン病問題→「医療基本法」制定にむけた活動(「医療基本法の制定にむけた議員連盟」「患者の権利法をつくる会」)
・終末期以外(ALSなど)の患者の尊厳死
消防士や救急救命士が、患者家族から蘇生中止を求められたら心配蘇生をしなくていいという容認論が世間で話題になりました。
医療の進歩とともに人間的な尊厳の消失と死のタイミングが大きく乖離しています。
ここでいう尊厳の消失とは、生かされていると揶揄できる状態です。
我々医療者がみる目線と違い、一般の方には生きると生かされているは大きな違いにうつるでしょう。
簡単に言ってしまえば健康寿命です。
これからさらにこの議論は加速するでしょう。
そのときに生じる問題は、科学ではなく、気持ちが受け入れられるかどうかの情愛です。
そのバランスをとってくれるのが法であればしっかりとした議論を行っていただきたいですね。
以上です。おしまい。